戦争はなぜ起こるの?【文化人類学の思考法】朝活vol.35

戦争はなぜ起こるの?【文化人類学の思考法】朝活vol.35

おはようございます!朝活35日目!

連日雨がスゴイですね・・!僕は基本室内で仕事してるし、外の感じが分かりにくいので

ついつい傘を忘れて、びしょ濡れになりがちです。。
折り畳み傘が欲しい・・・!

今日も【文化人類学の思考法】を紹介していきます!

グローバル化と「戦争」

グローバル化の進展により、少なくとも経済面では世界が一体化しているのに、なぜ世界には暴力が絶えないのか。
互いに孤立ないし対立していた集団間につながりが生じて関係が深まることで、平和的な共存への道がひらかれるという推測も成り立つはずだ。

たしかに、グローバル化によって関係性が深まれば、互いに理解しあえて「平和的な共存」となりそうに思いますが、実際はそうはならない。。。

そもそも、なぜ人は戦うのか?

なぜ人は戦うのか??なぜ戦争は起こるのか??

「敵を支配するため」「相手の財産を奪うため」「互いが分かり合えないため」

かな?と思いますが、どうやらそれだけではないようです。

もちろん、他のすべての社会現象と同じように権力や富を求める人間と組織の意思は戦争の発生や展開に大きな影響を与えているだろう。
だが戦争の特徴とは、むしろそれらの要因には還元できない行動が頻繁にみられることかもしれない。

仲良くしていた方が得るものが多いはずの相手を攻撃する、
目的達成の観点からすれば過剰に思える暴力をふるう、
殺戮の対象であるはずの敵の命を救う
といった報告が、多くの戦地からもたらされている___

また、近年起こっている「内戦」も発生の理由に変化がみられているといいます。

「内戦」はなぜ起こるか?

___冷戦期には資本主義と共産主義との対立のような
「重大な違い」が戦争の争点だったが、今日の暴力現象の背後にあるのは「ささいな違いについてのナルシシズム」だ___

なんだか、「ちょっとした違い」だけで戦争にまで発展しているといいます。。

「ささいな違い」とはいえ、当事者にとってみれば「重大」なのかもしれませんが、

どうやら、理由はそれだけではなく、もっと本質的に「争う」理由が考えられる、と著者はいいます。

クラストルによれば、交換を続けると集団間の関係は深まり、最終的には 異なる集団が一つの集団に統合される。その結果、各集団の独立性は失われてしまう。
____各集団が自律的な存在でありつづけるためには、そして集団の成員が対等な存在として生きつづけるためには、戦争を起こして相手集団との関係を一時的に断ち切ることが必要なのだ___
_____戦争を「近い」存在との違いを示し、相手集団とのあいだに一線を引くための営みと捉えることで理解が深まる___

「わたしたち」と「彼ら」の違いを示すために「戦争」を起こす。。

「わたしたち」集団が自律的な存在でいるために、他者を攻撃する、のだそう。。

ホッブスによれば、

ヒトは自然状態では自己保存のために暴力の行使を辞さないので、平和の維持のためにには暴力を独占する国家の存在が不可欠である。

とのこと。。「争うのは人間の本能」という考え方ですね。。

一方、マナムブ人は

ヒトを生まれながらに社交的な存在と考えており、じっさいに彼らは異なる集団の人たちとも親密な関係をつくりあげる。
だが、各人が関係を深めれば深めるほど集団間の区別は曖昧になる。
彼らは武器となる槍を手に船団を組んで隣接集団のもとへ向かう。
戦うことをとおして自他の境界をつくりだすためである。

人は社交的であり、争いとは自他の境界をつくりだすための儀式的な意味合いのもの、ということですね。。

こうした事例をみていくと、「内戦」の起こる理由として

「近い関係があるからこそ戦う」「関係が深まりすぎてしまうから戦わざるを得ない」

といった事例が多い。

「内戦」の裏にいる「エリート」

前述の事例は「国家なき社会」において多くみられる事例ですが、

近年の内戦では、その背景に「冷徹なエリート」の姿が見え隠れする、といいます。。

ここでいうエリートとは、「われわれ」と「彼ら」の違いを誇張ないし捏造し、「彼ら」の危険性を煽り立てること人々を暴力へ駆り立て、その陰で自身の政治的影響力を強めたり私財を蓄積したりする人たちのことだ。

こうした「エリート」の情報操作や煽り立てによる「きっかけづくり」と、兵士となる「ふつうの人」たちが抱える個々人の問題、、

エリートの言葉を鵜呑みに信じる人もいれば、近隣に住む敵国人への私怨を晴らすため、または従わないと自分や家族の命を狙われる、あるいは生活のお金を稼ぐため、といった

一人一人事情を抱えながら暴力に加担していく。

暴力の依存性

それにしても、個々人の理由で戦争に「しかたなく」加担している場合も多いのに、

四肢切断や大量虐殺など、必要以上の暴力が起こってしまうのはなぜか??

暴力が最初にそれを生み出した文脈から離れて、みずからを自律的に再生産していく傾向をもつ___

暴力とは、最初の段階では強い抵抗を感じるものの、一度犯してしまうと

感情が高揚し、ますます暴力的行動を引き起こしてしまう性質がある、といいます。

そうして制御できなくなっていった結果、「大量虐殺」などが起こってしまう。。

まるで他人事、どこか遠い国の遠い価値観の出来事のようにも思えてしまいますが、

「大量虐殺」を実践しているのは「ふつうの人」が多い。

国や場所が違えば、自分も加害者になっていたかもしれない、と
「自分が同じ状況に置かれたらどうする?」を思うと「暴力」の力や、敵の虐殺を促す「空気感」の力って恐ろしいな、、と感じます。

「争い」は「自分たち」と「彼ら」との違いを示す、自分たちを自律的な存在と証明するための儀式として、無くならないのかもしれません。。

しかし「暴力」は無くせるのかもしれない・・!

難しい話でしたが、こういったことも勉強して知っておきたいなぁというのを感じれました!

最後までご覧いただきありがとうございました!

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