「報酬・刑罰」vs「天職」 読書日記vol.61

「報酬・刑罰」vs「天職」 読書日記vol.61

こんにちは!読書日記vol.61

今日も早起きには失敗しましたが、更新だけはしていこうと思います!

前回に引き続き「世界は贈与でできている」より書いていきます!

世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (NewsPicksパブリッシング)

(前回までの記事はvol.57~より)

ギブ&テイクの限界点

「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」
これがギブ&テイクの論理を生きる人間のドグマです。
要するに「割に合うか合わないか」で物事を判断する態度です。
割に合うなら助けるし、仲良くする。
割に合わないなら、縁を切る。
他人を「手段」として遇する態度です。
_____問題は、僕らは、自分のことを手段として扱おうとして近づいてくる人を信頼することができないことです。

このように、「割に合うか合わないか」で考える思考法を
著者は「交換の論理」と呼びます。

「交換の論理」で生きていると「信頼」を得られることはない。。

「信頼」を得るには「贈与」の存在が不可欠・・・!

____贈与がなくなった世界(交換が支配的な社会)には、信頼関係が存在しない。
裏を返せば、信頼は贈与の中からしか生じないということです。
____周囲に贈与的な人がおらず、また自分自身が贈与主体でない場合、僕らは簡単に孤立してしまいます。

たとえば、「なぜ人は職を失うことを恐れるのか?」

それは、「金銭的な理由」のほかに

「他者とのつながりを失う」ことを恐れている、と著者はいいます。

「他者とのつながり」や「信頼できる関係性」を持たないとき、人は簡単に孤立してしまう。。

交換の論理、
つまりギブ&テイクやウィンウィンの論理は、
「交換するモノを持たないとき、あるいは、交換することができなくなったとき、そのつながりを解消する」
ことを要求します。
____交換の論理を採用している社会、
つまり贈与を失った社会では、
誰かに向かって「助けて」と乞うことが原理的にできなくなる。

例えば「贈与」が完全に失われた世界では

全てが「等価交換」となります。

自分が何も差し出せないのに、助けてもらったり、何かを受け取ることは

原理的に不可能な世界となってしまいます。。

誰にも頼ることのできない世界とは、誰からも頼りにされない世界となる。
僕らはこの数十年、そんな状態を「自由」と呼んできました。

社会で生きていくうえで

「誰にも依存しない」「一人で生きていける」

このような状態を「大人」と言ったり、「自由」と言ったりしますよね。

ですが、誰にも迷惑をかけない社会とは、
定義上、自分の存在が誰からも必要とされない社会
です。
_____誰にも依存しないスタンドアローンな存在として生きていける主体だけから成る社会というのは、
いざという時に助けてくれる他者を必要としません。
_____「いざというとき」をそもそも持ちえないのですから。

この「自由」と相性のよい思想・システムが「資本主義」です。

資本主義の上では、ありとあらゆるものが「商品」となり、

すべてが「お金で買える」という理念が採用されます。

____そのシステムのなかでは、あらゆるものが「商品」となり、あらゆる行為が「サービス」となり得る。
その可能性を信じ切る態度を資本主義と呼ぶのです。

あらゆるもの、あらゆる行為が商品となるならば、
そこに競争を発生させることができ、
購入という「選択」が可能になり、
選択可能性という「自由」を手にすることができます。
ただし、その自由には条件があります。
_____交換し続けることができるのであれば、という条件が。

「報酬」と「刑罰」の幻想

ボストンのある消防署。
消防本部長は、月曜日と金曜日に消防士たちの疑わしい病気欠勤が集中していることに気づいた。
そこで彼は、有給病欠の年間上限を桂15日までと設定し、
上限を超えた消防士には減給を命じた。
その結果どうなったか。
予想に反してクリスマスと元日の病欠連絡が、前年の10倍に増加してしまった。
それに対し、
消防本部長は今度はボーナスの一部の支給を取りやめることを決めた。
すると消防士たちはそれを不快に思い、
前年と比べて2倍以上の病欠日を申請することで応じた。

イスラエルのある託児所。
この施設は、親たちが子供を迎えにくるのが遅いという問題に直面していた。
そこで託児所は、遅刻する親たちに罰金を科すことにした。
するとどうなったか。
予想に反して、親たちは遅刻回数を2倍にするという反応を見せた。

非常に興味深い話です・・・!

どちらの話も、
逸脱行為や違反を減らすために「金銭的制裁」を試みたところ、
結果は逆効果になってしまった。。
という話。

これはなぜなのか?

この二つの事例は交換の論理と関係しています。
なぜそんなことが起こったかというと、
申し訳なさやうしろめたさを、金銭と交換させてしまったからです。
金銭を払うことで負い目をチャラにできてしまったのです。

マイケル・サンデルによると、

____お金を払わせることにしたせいで、規範が変わってしまったのだ。
以前であれば、遅刻する親は後ろめたさを感じていた。
___いまでは迎えに送れるあいだ子供を預かってもらうことを、自分が支払い意志を持つサービスだと考えていた。
罰金をまるで料金のように扱っていたのだ。____

「病欠」や「遅刻」が「負い目」「後ろめたさ」を感じさせるものから

「購入可能なもの」へと変わってしまったのだといいます。

「天職」とは何か?

___「天職」とは、自分にとって効率的に稼ぐことのできる職業、職能ではありません。
天職は英語では「calling」です。
誰かから呼ばれること、誰かの声を聴くこと。これが天職の原義です。

誰かからの声、要請に対して応じる能力や機会に恵まれること。

いわば「使命」に気づき「自分がやらなければならない」という
「責任(responsibility =応答可能性)」を負うこと。

これが「天職」と呼ばれるものの要素だと著者はいいます。

天職の3分の1は、使命でできている。

「使命」に気づき、そこに生まれる「責任」とは

・倫理
・義務感
・誇り
・プロ意識
・勇気

といった、捉えにくく、測定しにくい、
いわば「モチベーション」「内的動機」のことになります。

前述の話でいう「報酬(インセンティブ)」「刑罰(サンクション)」

「calling」「他者からの要請」を無効にし、その仕事を

「金銭を目的」に置き換えてしまう。。

それは「使命感」「やりがい」からは遠ざかることになり、

本来「贈与性」を帯びていたはずの「天職」が

「交換」のための手段と化してしまう。。

仕事のやりがいは、その仕事の贈与性によって規定されるのです。

感想

報酬や刑罰の話は非常に興味深いと感じました・・!

意識せずとも、人は仕事などを通して「使命感」や「責任」を負い、

「贈与性」の上で生きているとも感じられます。

確かに「やりがい」や「使命感」はお金では買えない。。

「お金では買えないもの」=「贈与」

「仕事がある」というのは「贈与を受け取っている」ということにもつながるのだ、と改めて感じることができました。

世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (NewsPicksパブリッシング)

最後までご覧いただきありがとうございました!

コメント

タイトルとURLをコピーしました